東日本大震災が投げかけた試練とは

一昨日、昨日の東京出張の中で、いろんな番組や対談に出させてもらい、いろんな方とお会いすることができました。様々な会話の中でいろんなことを考えさせてもらいました。
私が所属する日本公共政策学会でも、今回の震災に関連したシンポジウムや学会誌の特集の議論が行われています。今回の震災の総括などあまりにも早すぎるのですが、この震災が私たちの社会にに投げかけているものとは何なのか、そしてこれからの私たちに求められているのは何なのかという問いかけをここ一週間ぐらいずっと考えていました。

 私が今、強く問題意識を持っているのは、3.11以降の日本の経済成長についてです。このような言い方は語弊があるかもしれませんが、地震と津波による被害だけならば、私は上記のような問いかけを深刻に考えることはなかったでしょう。この震災を語る上で、原子力発電所の被災と、それに伴う電力供給の深刻な制約は決して避けて通れない課題です。

なぜか。それは地震津波災害への対応や復興も、我が国の経済活動が電力供給制約の中で行われなければならないからです。制約といえばもちろん、物流や様々な生産基盤も破壊されています。そのなかでもことさらに電力を取り上げるのはなぜか。それは様々な生産基盤は復旧し元の水準に回復させることができても、電力供給に関してはそれが期待できないからです。仮に元に戻ったとしても、これまで通りに右肩上がりの電力供給を実現することは不可能です。どう考えても、原子力発電所を新たに作る合意は社会的に得られそうもありません。火力発電に切り替えるというのも昨今の原油高やエネルギー安全保障、CO2排出の観点から限界があります。

我が国のGDPの増大は、電力需要の増大と軌を一にしてきました。しかし今後は、電力供給が頭打ちの中で経済成長を遂げなければいけないということです。

経済成長など必要ないという人もいるかもしれません。しかし、すでに我が国は1000兆円近い公債発行残高を抱え、その上さらに今回の震災復興財源を捻出しなければならないのです。その財源を公債に求めようが税に求めようが、成長がなければ我々や将来世代の実質的な所得が目減りすることを覚悟しなければなりません。国債の日銀引き受けにより貨幣供給量を増やして景気を刺激するという案もありますが、経済そのものに成長余力がなければ単にインフレを起こすだけです。つまり、どのように財源を調達するにしても、一定の経済成長は不可欠なのです。電力供給制約の中での成長。これこそが、今回の震災が我々にもたらした試練なのではないかと、強く感じるようになりました。

そのための方策について考えてみます。第一は、既存の電力をより効率的に使うということです。例えば、東京の産業を西日本に移動させ、西日本の余剰電力を用いて経済活動を継続すること。あるいは夜間の電力余剰を用いて生産活動を行うと言うことです。長期的には、経済学者が提案しているように、電力価格の大幅引き上げなどにより、より効率的な電力の配分が実現するものと思われます。これらは比較的取り組みやすい戦略ですが、電力が有限だとすれば、この方法による成長にもいずれ限界はやって来ます。

そこでもう一つは、多少大胆な戦略を提案します。いわゆる20世紀型のものづくりに依拠した経済成長ではなく、もっとコミュニティレベルでの助け合いや支え合いなど、市場で評価されなかったサービスに経済的価値を与える戦略です。いわば、コミュニティビジネス、ソーシャルビジネスによる成長戦略といってもいいかもしれません。

これはたとえて言うならば、自治会・町内会やボランティア活動などを通じても十分な所得が得られる社会です。今、東京の地下鉄ではエレベーターやエスカレーターが停止し、足の不自由な方には大変暮らしにくい状態です。これまでの社会では、電気を使ってエレベーターを動かすことに対して対価を支払っていました。そうではなくて、足の不自由な方が地上に上がることを手助けする行為に対して対価を支払うのです。エレベータを作り設置するという、電力や地球の資源に依存した経済活動を、他者を直接支援するという人間を基本とした経済活動に置き換えるのです。これも立派な付加価値であり、金銭評価さえされればGDPの増加に寄与します。IT技術と併用すれば、少ない労働でより効果的なサービスを生み出すためのイノベーションも十分可能でしょう。

コミュニティビジネスによる成長戦略は、成長の結果得られる「豊かさ」の質がこれまでとは全く異なります。家電製品が増えるとか、携帯電話の機能が増えるとか、そういった物的豊かさから、地域の絆が深まるとか、困ったら誰か手助けしてくれる人がそばにいるとか、そういった種類の豊かさです。このような豊かさに我々が経済的価値を感じることができるかどうかは、この戦略を実現するための重要なポイントになるでしょう。

実は、我々が直面している深刻な資源制約という事態は、地球の資源が有限である以上、遅かれ早かれ世界が直面する事態なのです。今回の地震によって、我が国がその問題にいち早く直面したわけです。そのように考えれば、今の日本の状況を悲観的に考える必要はないと思います。人類が乗り越えなければいけない、資源制約下の成長という重要な課題に対して、我が国が一つのモデルを示す必要があります。そのような積極的な姿勢で今回の震災を捉える必要があるのではないでしょうか。

なお、私たちは、現在キャッシュ・フォー・ワーク(CFW)という、復興事業への被災者雇用を推進する活動を推進しています。CFWについては、こちらを参照して下さい。最近、CFWの先には、上記で述べたような新しい成長戦略が潜んでいるかもしれないと思うようになりました。例えば金子良事さんの論考「CFW構想の先にあるもの:復興から地域振興へ」の中にもその一端が伺えます。

永松 伸吾 の紹介

関西大学社会安全学部教授。災害経済学を教えています。現在LA在住。
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東日本大震災が投げかけた試練とは への1件のコメント

  1. 一市民 より:

    試練というよりも好機であると思います・・・

    この世の中で唯一無限な資源である「お金」これをどう操れば社会はキチンと動くのか・・・?「お金」に振り回されるのではなく、自由にコントロールできるようになることが、21世紀の課題だと思います・・・・

    公務員という制度がある以上・・・制度でお金を供給するシステムはいくらでも作れると思います。後は発想を変えられるかどうか・・・・それは、国民が変わるかどうかに掛かっていると思うのですが・・・

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